ブログ
BLOG長浜開町450年🏯
ときは戦国時代、織田信長軍は小谷の浅井長政と越前の朝倉義景を滅ぼし、天下統一に近づいたわけですが、その戦いに功績のあった羽柴秀吉は、北近江の領地をもらい琵琶湖岸に城を築き城下町を拓きました。
それが小さな漁村に過ぎなかった長浜に町を開いた最初で、1573~4年のことでした。それから450周年ということで地元では昨年から様々な行事が行われました。
11月の連休には、長浜ロータリークラブ主催で「ながはま開町450年~未来への継承~」と題して、市内の小中学生を対象に郷土の文化や文化遺産、歴史を次の世代に伝えることを目的にイベントが開催されました。
長浜の中世史に詳しい長浜城歴史博物館の前館長で、現在は淡海歴史文化研究所所長の太田浩司先生を中心に、今回新たに製作した朝倉氏遺跡や長浜市内のビデオやレプリカ兜を使っての勉強会です。
市内の小中学校の生徒や父兄、先生約150人が参加してくれました。
秀吉公の兜を復元し、参加してくれた生徒さんたちに順番にかぶってもらって、写真を撮影しました。この兜は、ショウブの花を模した馬藺後ろ立というもので、「人生勝負(菖蒲)せよ、努力すれば必ず日は昇る」というメッセージが込められています。
この「一の谷馬藺兜(いちのたにばりんのかぶと)」の本物は現在東京国立博物館にあり、三河の岡崎藩士であった志賀家に、同家の祖が豊臣秀吉から賜った兜として伝えられたものだそうで、下の写真が本物。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実は全く違う団体の研修会で、10月の下旬に福井県の一乗谷朝倉氏遺跡博物館に行ってきたばかりでした。
この遺跡は戦国時代の城下町全体が遺跡となって残された、全国でもまれな大規模遺跡です。50年以上にわたり、発掘調査と整備が続けられ今でも新しい発見があるそうです。
5代100余年の栄華を誇った朝倉氏も1573年、織田信長との戦いに敗れ、滅亡し一乗谷の城下町も灰燼に帰してしまったのです。同盟していた小谷の浅井氏も同じ運命でした。
新しい遺跡博物館ができていて、発掘された出土品が見られると同時に、石敷遺構がそのまま建物の中に組み込まれていて、間近に見学することができます。
また、朝倉当主の館の一部を原寸で再現していて、戦国大名の暮らしぶりを体感できます。
私たちの郷土を取り巻く環境は、まさに戦国時代の歴史遺産の宝庫で、これからも大切に後世に伝えていかなければならない使命があると思いました。
我等が長浜城も末永く・・・・・
会長
CATEGORY
ARCHIVE