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BLOG追悼😢松本零士さん
昨日のお昼過ぎくらいの時間、いつもの冬型気候の「しぐれ空」の小雨の中に少し日差しが射した一瞬、北東の方角に虹が出ました。別に珍しくはないのですが、その虹は地面に近く低いところに、まるで実寸大の懸け橋のように現れたので、誰かが実際に渡れるような絵柄になりました。
夜、家に帰るとき車のラジオから松本零士さんが亡くなったニュースが流れてきました。
一般的には、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などのアニメの原作者として有名ですが、私にとっては1960年代のマンガ雑誌の大先生でした。大先生といっても松本さんは当時まだ20代後半から30歳になるかならないの若者だったのには驚きます。
物が捨てられない性格の私は、当然大昔の小学校時代のマンガ雑誌も残しています。自分が買って残してある最も古いのは1964年(昭和39年)発行の「少年サンデー」と「冒険王」です。ちょうど東京オリンピックが開かれた年で、私は小学2年生でした。
この「冒険王」1964年11月号の新連載に「スーパー99」というSF風の潜水艦のマンガが掲載されていました。当時26歳でまだ「松本零士」を名乗る前の本名「松本あきら(晟)」名義です。
当時は子供マンガ雑誌全盛で、月刊誌には「ぼくら」「少年画報」「少年ブック」「冒険王」等、週刊誌には「少年キング」「少年マガジン」「少年サンデー」などが人気でした。今でも発行部数が多い「少年ジャンプ」はそれより遅い1968年発刊です。
この「少年ブック」は1967年3月号、人気は、ちばてつやの「がんばれ少年ジャイアンツ」や吉田竜夫の「マッハGoGoGo」などでした。その他当時の人気漫画家には森田拳次、貝塚ひろし、つのだじろう、ジョージ秋山、永井豪、石森章太郎、そして手塚治虫や赤塚不二夫etc.もっともっと書ききれませんがすごい人たちばかりがいました。皆さん複数の雑誌の連載を抱えて、寝る暇もないくらい書きまくっていました。
そしてもうひとつ見つけました。この年の4月号で休刊してしまう「少年ブック」に連載していた「光速エスパー」です。このマンガの主人公エスパーの名前は「古代すすむ」と言います。そう、のちに「宇宙戦艦ヤマト」の戦闘班長である「古代進」が繋がってくるのです。
オタクっぽく熱く語ってしまいましたが、私にとっての松本零士さんは、「ヤマト」でも「999」でもなく、小学校時代に愛読した少年マンガ雑誌の大先生だったのです。
虹の橋を渡って、宇宙のかなたから地球を見守っていてください。ご冥福をお祈りいたします。
社長
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